コーヒーは、
6世紀から8世紀頃にエチオピアから
アラビア半島のアラブ人に伝わり、
彼らを通して中東・イスラム世界の全域に広まった。
初めてコーヒーが文献に現れるのは
9世紀になってからである。
イランの哲学者であり医学者でもあったラーズィーが、
自身が見聞きした民間療法や
医学知識を記した「医学集成」に、
コーヒー豆を指す「ブン」と
その煮汁「バンカム」について記載している。
15世紀頃、
イエメンのイスラム神秘主義教団の間で
夜間の修行を助ける覚醒飲料として、
コーヒーは広く飲用されるようになり、
16世紀までに修行のためのコーヒー飲用の習慣が
エジプトまで広まった。
しかし、クルアーン(コーラン)の時代
(7世紀)にはコーヒーについて十分な知見が
なかったのでコーヒーの摂取の是非に関する
イスラム法上の規定がなく、同じ頃コーヒー飲用の
宗教的な是非が大きな問題となった。
多くの法学者は、
その飲用はイスラム教の立場からはビドア(逸脱)
であるとみなし、クルアーンで禁じられた
アルコールの飲用に似た効果のあるコーヒーの飲用は、
悪しきビドアとして排斥されたのである。
その背景には、コーヒーを供する場所が庶民や知識人が
集まる社交場となりはじめたため、
それが為政者や社会に対する不平不満を
語り合う場に転ずることを警戒する動機があったと言われる。
現実的には完全な禁止は難しく、
それほど大きな弊害もなかったので、
1454年にアデンのムフティー(法学者)、
ジャマールッディーンがイスラム法学上の見解で
合法と判断して以来、数十年にわたる論争を経つつ、
やがて飲用しても構わないという見解が主流となって
コーヒーは中東圏に広まっていった。
1516年にセリム1世がマムルーク朝を征服、
イスラム世界の北方の辺境であったオスマン帝国が
アラブ地域を併合するとトルコ地域にも伝播し、
オスマン帝国の首都イスタンブルにまでコーヒーは
持ち込まれるようになった。
コーヒーはトルコ語ではアラビア語のカフワが
なまってカフヴェと呼ばれた。
オスマン帝国の年代記は、
翌17世紀の初頭にイスタンブルにやってきた
アラブ人によって世界で初めてのコーヒー飲料を
供する固定店舗が開かれたことを伝えている。
このような店舗はカフヴェハーネ
(直訳するとカフヴェの家、すなわち「コーヒー・ハウス」)
あるいは単にカフヴェと呼ばれ、
庶民や知識人が集まって語り合ったり、
詩などの文学作品の朗読会を行う社交の場として広まった。
オスマン帝国では19世紀に安価なインド産の茶が
持ち込まれた結果、社交の場の主要な飲料の座を紅茶に譲るが、
一般にトルココーヒーと呼ばれるその飲用法は家庭や
喫茶店で広く行われつづけている。
トルコにおけるコーヒー飲用の風習はオスマン帝国の
支配下にあったバルカン半島に16世紀中には広まった。
このため現在でもギリシャなどで
コーヒーの伝統的飲用法はトルコと同じである。
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